【ことばの処方せん】人とのことで悩んだら…心地いい人間関係を育てる処方せん「あなたにありがとう。」松浦弥太郎

投稿日:2020-02-28 更新日:

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「暮しの手帖」ならぬ「人づきあいの手帖」、みーつけた!

ごきげんいかが?NAOです。

人の悩みって、因数分解して元をたどれば、たいてい対人関係の悩みだったりします。

原因は自分であることも、相手であることもあるわけですが、どちらにしても心にザワザワさざ波が立つのは穏やかではありません。人間関係の悩みって、深刻なものはもちろん、ささいなことでも積み重なったり長引いたりすると、気づけば心が次第に硬く、冷たくなっていくので要注意ですよね。

そういう黄色信号の心に、「はーい、深呼吸。はーい、ストレーッチ!」とでも言うように語りかけてくる文章があります。

それは、『暮しの手帖』元編集長の松浦弥太郎さん著『あなたにありがとう。』。

松浦さんのメッセージって、必ずしも甘いものではありません。むしろ、厳しいというか、耳が痛いこともたくさん。それなのに、何だかにっこり笑顔で手を差しのべてくれるよう。それはおそらく、根っこが愛情のかたまりみたいな温かい人だから。「本当の優しさ知っている素敵な大人の言葉だわ~」と素直に体に入ってきます

「松浦さんのこういう考え方好きだな」、「すごく分かる~!」、「この発想は大事だけど私はできていないかも」、「こんな人になれたら素敵!」と気づきや勇気をもらったり、共感したり、反省したり…。ほんの一部ですが抜粋してみました。

友だちをつくる力とは、相手のいいところを見つける力

「はじめに」より抜粋

幼い頃、初めての友だちをつくったときの感覚を、あなたは覚えているでしょうか?

「この子といると、たのしい、うれしい」「あの子はかわいい、面白い、やさしい」そのときの感覚を言葉にするとしたら、僕はこの程度しか思い出せません。

おそらく、言葉にできないようなもっと動物的な感覚で、相手のいいところを嗅ぎ分け、全身で感じ取っていただからだと思います。

これからの僕たちは、コミュニケーションにおいてこの素朴な感覚を取り戻したほうがいいように思うのです。

友だちをつくる力とは、相手のいいところを見つける力でもあります。

どんな人であっても、そこにぴかりと輝く宝物を見つけること。

そのいいところを見つける力は、一生懸命に練習し、毎日試さなければ、すくすく伸びてはいかないのです。

この本は、友だちに限らず、人とかかわりながら心地よく暮らすための覚え書きです。

うまくいかない理由は愛情不足

「愛情を伝える」より抜粋

ところで、コミニュケーションの目的とは何でしょう?

思いやり、気遣い合うことでしょうか。それとも、みんながそれぞれ自己主張することでしょうか。馴れ合いにならないように、気持ちを正直に言葉にすることでしょうか。

いろいろあるように見えますが、おそらく、ごく単純な話ではないかと僕は思うのです。コミニケーションの目的とは、相手に自分の愛情を伝えることではないかと。

男女の恋愛に限ったことではありません。家族や友人、職場の人であっても、愛情を伝えあうことなしに成立する関係はないでしょう。

ものに対してでも、自然に対してでも、愛情を伝えなければ、つながりを築くことができません

たとえば、お皿を割ってしまったのなら、その原因は自分の愛情不足です。
お皿に対してたっぷりの愛情があれば、気にかけるし、大切にします。割ったりしないよう、ていねいに洗います。

お皿は自然に「割れた」のではなく、自分が「割った」ということ。手がすべったからではなく、自分の愛情不足がぞんざいな扱いにつながり、結果としてお皿を「こわした「ということです。

同じように、人間関係がうまくいかなかったり、宝物みたいだった絆がほどけてしまいそうなときは、たいていどちらかの愛情不足に理由があります。

まず自分から心の窓を開く

「待たない」より抜粋

相手の反応をうかがい、好意を示してくれるまで待っていてはいけません。

まずは自分から、先手を打つこと。表情や態度でも、十分に伝えられます。

ずっと憧れていた海外の本屋さんやアーティスト、作家にようやく会えたときも、僕は同じようにしています。「あなたに会えて、本当にうれしい」と自分から気持ちのありったけで伝えたことで、言葉の壁を乗り越え、友だちになれたことも何度となくありました。

つきあいが長い相手であっても、シビアな話をしなければならないときには、心の窓を開くことから始めます。

「今、この人は僕に対して、少しは心の窓を開いてくれているのだろうか?」
それを確かめてからでないと、肝心の話ができないと思うのです。

取引先へのクレーム。仕事上のなかなかいいにくい話。プライベートで深刻な話をする時も同じです。突然、きつい話を切り出すというのは相手にとってたいそう負担だし、あまりにも思いやりのない行為。解決する話もこじれてしまいかねません。

そんなときも僕は、相手の緊張が自然にほぐれるのを待ったりはしません。まず、自分がリラックスし、緊張を解いてみせることで、相手の心の窓をあけてもらうようにしています

待たないとは、言葉を変えれば「受け身にならない」と言うこと。せっかちだったり、自分勝手とは違います。

「すぐ答える」、「はっきり答える」誠実さ

「待たせない」より抜粋

信頼している人の二つ目は、待たせない人
人間関係の基本は、約束を守ることです。それは大原則として、ずっと胸に抱いていなければなりません。

それでも、待ってもらわなくてはならないときはあります。
たとえば「絶対に、一週間後に間に合います。大丈夫です」と引き受けた仕事でも、取りかかったら思いどおりに進まないこともあります。不意の出来事で目論見が狂ったりするのも、よくあることです。

ぎりぎりまで「約束を守ろう」と精一杯がんばったとしても、1週間後に「できませんでした」というのは論外でしょう。約束を守れなかったうえ、1週間ずっと相手を待たせたことになります。さらに、いつできるかもわからなければ、相手をもっと待たせてしまいます。

たとえ1度でもこんなことをした相手を信じるのは、たいそう難しいことです。「大丈夫かな、また遅れるんじゃないかな?」と、相手を心配させるようでは、信頼される道理がありません。

しかし、仕事に着手して3日目で、正直に話したらどうでしょう。
「すみません、思ったよりも難しくて、あと1週間かかりそうです」
このように途中で報告した時点で、相手は待たずに済みます。

待たせるとはまた、相手を状況もわからないまま宙ぶらりんにし、不安にさせることです。その意味では、家族や親しい人へのちょっとした返事でも、待たせてはいけません。

「今度の日曜日、みんなでどこかへ出かけない?」
こんなふうに尋ねられたとき、あなたはすぐに答えているでしょうか?

「新しい映画を見に行こうか?」
友人や同僚からの何気ない誘いでも、曖昧にしていないでしょうか?

「今度の日曜日ね……」
そう答えてイエス・ノーを口にしなければ、相手を待たせることになります。たとえ子供からの誘いであっても、待たせてはいけません。

「うん、行こう!」と答えられればいちばんですが、「このところたくさん仕事があって疲れているから、出かけるのは今度にしよう」と即座に断るのも1つの答えです。

きちんとノーを言うこと。これは、「もしかしたら、どこかに行けるかも?」と期待させて待たせるより、よほど正しい振る舞いだと僕は思います。

「映画か。いいね、どうしようかな」と曖昧な返事で引っ張ることを繰り返す相手を、何度も誘おうと思う人はなかなかいません。

待たせることが続けば、すくった砂が指のあいだからこぼれていくように、親しい人との間でも信頼は失われてしまいます。

はっきり答える、ごまかさないというのは、「逃げないこと」に、どこかでつながっている気がします。

距離を縮めることが「仲の良さ」ではない

「近づきすぎない」より抜粋

一緒に何かをすることでもなく、しょっちゅう会うことでもなく、お互いのすべてをわかちあうことでもありません。なにがあろうと、ずっと友達でいつづけること。

これが最高の友情だと僕は思います。仲の良さとは、距離を縮めることではないと考えているのです。

つかず離れず、相手に侵入していかない。親しいからこそ、礼儀を忘れず、相手を尊重する。こうした距離をいつも意識していなければ、友情なんて長続きしないのではないでしょうか。

諍いや考え方の違いでも距離は変わりますし、とりたてて理由もなく、距離ができることもあります。ずっと大切にしたいつながりであれば意識的に、遠ざかれば近づき、近づきすぎたらちょっと退くことも必要です。

ある仕事で2週間ほど、海外取材に出たことがあります。クライアントと2人きり、朝から晩までずっと一緒の旅です。彼はごく感じがいい人で、仕事もうまくいき、僕は快適に帰国しました。ところがあるとき、別の人から、彼がこう言っていたと聞きました。

「松浦さん、2週間も一緒にいたのに1度も心を開いてくれなくて。僕は一生懸命、個人的な話をしたり、内面的なことも打ち明けたけれど、彼はそんなことがまったくなかった」。

僕は、なるほどと思いました。彼を今でも友だちだと思っているし、つきあいも続いていますが、僕と彼とは求めているものが違うということがわかったのです。

僕は彼に心を開いています。しかし、個人的なことを告白しようとは思いません。
秘密を共有したり、打ち明け話をして親しくなる人は多いようですが、「自分の心のうちは、自分の中にしまっておけばいい」というのが僕の性分なのです。

自分がどういう人間で、相手とどのぐらいの距離をとってつきあうのがちょうど良いのかをお互いに表明しておくことその大切さを改めて感じた出来事でした。

友情というのは絶対にみえて、案外こわれやすいものです。自然に続いていく友情などありません。
距離を測るとは、関係を守るための努力です。お互いが友情を守り、育てている2人だけが、ずっと友達でいられるのでしょう。

それは、あなたが自分の意思で、やりたくてやったこと

「見返りを求めない」より抜粋

「自分がそうしたいから、勝手にそうした」

夫婦でも、親子でも、恋人でも同じです。
仕事の上司にも、後輩にも、友だちにも当てはまります。

親切も、気遣いも、手助けも、すべては相手への愛情表現。あなたが自分の意思で、やりたくてやったことです。なにがあってもそれに対して、相手からの見返りを求めてはなりません。

「私が、こんなにしてあげたのに、なんでなにもしてくれないの」
「ずいぶんがんばっているのに、僕の気持ちを、ちっともわかってくれない」

ときおり、こうした不満を漏らす人がいますが、僕にいわせれば筋違い。ひとりよがりで、実にわがままな考え方だと思います。

たとえ大変な苦労だったとしても、それをやると決めたのは、あなた自身です。

そもそも自分が優しくしたいから、その人になにかしてあげたいから、その表れとして行動したはずです。だったらそれだけで十分ではないでしょうか。

相手が答えてくれようとくれまいと、自分の幸せとして親切にする。尽くす。力を貸す。このスタンスが守れない人は、いっそなにもしないほうがいいくらいだと、僕は思います。

人間関係には時間をかける

「急がない」より抜粋

たとえ仕事でも、人間関係に効率を求めてはいけません。あくせくして急いてうまくいく仕事など、ないものと思っていいでしょう。

「せっかく時間をやりくりして、電車を乗り継いで来たのだから、この日のうちに自分を知ってもらいたい。会社についても話したい。商品についてもわかってほしいし、できれば仕事の依頼も完了したい」

この調子でせっかちに打ち合わせを始めたら、相手は引いてしまいます。目的は、1度に1つ果たせたら上出来。このくらい、悠然と構えましょう。

たった1回、何かをして終わる関係ならいざ知らず、関係を続けていきたい、絆をつくりたいのなら、ゆっくり相手の話を聞きましょう。

人を訪ねていって本を売っていた頃の僕が受け入れてもらえたのは、しばらくのあいだ、ただひたすらおしゃべりをしていたからだと思います。持参した本を見せることすらせず、相手の話をじっくり聞いて大いに面白がり、できれば自分を知ってもらえるようにと、いろいろな話をしました。

この「無駄な時間の無駄話」で関係の土台ができていたから、やがて本を買ってくれる人が出てきたのでしょう。そこから文章を書いたり、編集をしたりといった、いろいろな可能性が生まれていったのだと感じています。

気遣いには「品」が要る

「気を利かせない」より抜粋

気遣いがない人は、よい関係を築けないものです。
そうはいっても、気遣いには「品」が必要です。
あまりに気を利かせすぎると、思いやりや気遣いが、いつの間にか、おせっかいや押し付けに変わってしまいます。

思うに、あらゆる気遣いは、言葉に出した時点でおせっかいに変わるのではないでしょうか。「私は気が利くし、ちゃんとあなたを気遣っていますよ」と言う気持ちが露骨に表れ、押し付けになってしまうと感じます。

僕たちはまた、気遣いを道具にしてしまうこともあるので、これも用心せねばなりません。

「この人と仲良くなりたい」
「いい関係を築いて、次の仕事につなげたい」

はっきり意識していなくても、下心がある気遣いをしている自分に、どきりとしたことはないでしょうか。
仕事では、自分のポジションを有利にするために、しなくてもいい心配りをする人がいます。友人とのつきあいでも、自分をよく見せたい、自分の主張を通したいという下心で、気を利かせていることは案外、多いのです。

下心から生まれた気遣いは、必ず相手にそれとわかってしまいます。
「あっ、この人は裏があって気を利かせているんだな」
そう感じるとたいていの人は傷つきます。
つまり、これほど失礼なふるまいはないということです。

気の利かないぼんやりした人になるのもいただけませんが、気を回しすぎて相手に負担をかけ、結果として傷つけるのは同じこと。いくら気をつけても気をつけ足りないことだと思うのです。

期待させるふるまいで相手を裏切ったのはあなた

「期待させない」より抜粋

期待させて、裏切るような失礼なことはしない。最初から期待させないように、注意しているということです。

たとえば僕は、飲み会が苦手です。お酒が飲めないし、大勢の人とわいわいやるのも苦手なのです。
それなのに周りに合わせて自分を曲げ、1度つきあったら、どうでしょう。
おそらく2回目の誘いには、「今度も参加してくれるだろう」という期待がふくまれており、断ったらその気持ちを裏切ることになります。

そんなことをしないために、僕は最初から「飲み会にはいきません」とはっきりみんなに伝えておくし、実際に参加もしないのです。
あとからがっかりさせるより、よほどましだと思っています。

優しさ。
なんとなく人に合わせてしまう癖。
自分はちょっと無理をしてでも、目の前の相手を喜ばせたいと言う親切心。
曖昧な態度。

こうしたあなたのふるまいが、相手を期待させてしまったのです。
相手はただ、それを素直に受け止めただけいまさら「期待しないでくれ」というのは、あなたの勝手であり、きつくいえば裏切りです。

弱さをいい訳にその場を逃げたら人間関係はそこでストップ

「弱さを武器にしない」より抜粋

上司と部下。目上と目下。年上と年下。男と女。
決して固定ではないけれど、どちらかが「強い立場」で、もう片方が「弱い立場」という関係はあります。

強い立場を利用していばったり、相手を従わせようとするのは論外。パワーハラスメントと呼ばれ、ゆめゆめしてはならない恥ずかしい振る舞いだと、誰でも知っています。

同じように、弱い立場を利用して自分の意を通そうとするのも、してはならないふるまいです。

とくに人間関係がうまくいかないとき、自分の弱さに逃げ込んではなりません。
ところが、弱さを武器にする害については、あまり言及されることがありません。おそらく、それだけデリケートな問題だということでしょう。

僕はここで、あえて書いておきたいと思います。
なぜなら、僕らはみなそれぞれに、違う弱さを抱えているから。自分の弱みが、誰かの弱みよりも弱いなんてことはないから。自分の痛みが、誰かの痛みよりも特別につらいなんてこともありません。
弱さも痛みも人と比べられるものではないし、最終的には一人一人が自分で抱えていくしかないのです。

もちろん、相手の弱さや痛みを想像し、思いやることは大前提ですが、自分の弱さや痛みを他人に押し付けることは、また別の話です。
弱さを人間関係の武器にするのは、厳しい表現をすれば、卑怯者の振る舞いだと僕は思っています。

たとえば仕事でミスをした女性が「私は弱い立場なのだから、仕方がないことです」と言うのは、弱さを武器にする行為です。

女性はたしかに力もないし、男性に比べていろいろ大変な点もあります。しかしミスは本当に、「女性の弱さ」が原因で起きたのでしょうか?その点を検証せず「女性だから」というエクスキューズを発したとたん、その人は仕事という土俵で話ができなくなります。

また、年配の人と若い人が話していたら、若い方が知識不足なのは当然です。

しかし、「もうちょっと勉強したほうがいいよ」と指摘された若い人が、「僕はまだ若いのですから、知らなくてあたりまえじゃないですか」と開き直り、若さを武器にその場を逃れようとしたらどうでしょう?

おそらく彼に何かを教えようとする人は、いなくなってしまいます。「若さ」という弱みを武器に変えるとは、自分の知識不足を補う努力を放棄したということ。これではいずれ若さが消え失せて「武器」がなくなってからも、もの知らずのままになります。

心の病気を武器にする人も、このところ増えていると聞きます。

友だち同士でトラブルが起きて話し合おうとしたとき、片方が「ごめんね、私はうつ病だから。あんまりきついことを言わないで」と遮ったらどうでしょう?

これは極端な例かもしれませんが、「うつ病」をさまざまなな心の弱さに置き換えて考えてみると、答えが見えてくる気がします。

「最近、ショックなことがあって」
「失恋したばかりで」
「家族関係がうまくいってなくて」
「仕事が大変で」

なにか話し合おうとしたとき、あるいはあやまちを指摘されたとき、こうした心の弱みを武器に対応したら、相手はなにも言えなくなってしまいます。そこで人間関係はストップです。

弱さを武器にしたら、誰とも深いところでつながれなくなります。

弱さを武器にするとは、弱さで自分の周りに高い城壁をはりめぐらせて、孤独に閉じこもる行為でもあります。

「私はつらいんだから、優しくしてよ!」と訴えかけた相手も、同じ弱みを抱えていて、それを口に出さないでいるのかもしれないのです。

自分の弱みだけにとらわれていたら、相手を思いやれない人になってしまいます。

孤独なお城が、ポツンポツンと、そびえ立つ世界。こんなに悲しい場所はないと僕は思います。

コミュニケーションを早々にあきらめずにすむマインドセット

「1年先を考える」より抜粋

対話は大切なものですが、即効性がある万能薬かといえば、違います。

結果を急いて対話をしても、つながりが強くならないし、うまくいかなくなった2人の間も、改善されはしないのです。

まず、対話をし、次に自分が行動してみせる。
対話を重ねると同時に、繰り返し行動で示さないと理解してもらえないことがたくさんあるということです。何度となくこの2つを繰り返すことで、ようやく相手も変わります。

人間関係は、今日や明日のことを考えるよりも、1年先のことを考えるとうまくいく気がしています。

「来年も、この人と関わり続けていけるだろうか?」
「1年後、さらに深くつながっているためには、どうしたらいいだろう?」
「1年先のために、今、自分はどういう接し方をすればいいだろう?」

こうした自問をすれば、その場しのぎのつきあいはなくなります。

たとえばあなたが誰かに挨拶をして、無視されたとします。勘違いかと思ったあなたは、翌日は挨拶にもう一言付け加えますが、何の返事もありません。
あからさまな態度が2、 3日続いたらどうでしょう。

「この人は私のことが嫌いだし、かかわる気もないのだろう」おそらくこんな結論を出して、あきらめてしまうでしょう。しかし、その時点で2人の関係は終わりです。

ところが「1年先」ときう気長なスタンスで考えると、たとえ返事がなくても挨拶を続けることができます。人は一朝一夕に変わらないという事実を受け入れたとたん、「1年たったら、もしかしたら何かが変わるかもしれない」と考える余裕が生じるのです。

余裕があれば、いくら無視されても、毎日毎日、「おはようございます」を重ねることができます。コミニケーションを素早くあきらめずにすむのです。

少なくとも、「相手は自分を無視する人だ」と決めつけず、「ここまで否定される理由はひょっとして自分にあるのかな」と振り返ることはできます。

実際に僕は、3年がかりでコミニケーションをとろうとチャレンジし続けている相手がいます。今のところ何の前進もありませんが、長い目で見れば、まだ可能性はあると思っています。
1年先を考えるメリットは、なにより、自分の信じる心が損なわれないことかもしれません。

 

抜粋した後の文章を読み返してみると、私はどうやら、松浦さんの大人として筋が通っている部分に特に惹かれているようです。

パッと読んだ印象として、心がほっこりするというより、襟を正したくなるメッセージの方が目立つかも!?(笑)

これは、私の裁量で中略している部分も多いからでしょう。。

松浦さんの陽だまりのような温かさは、ぜひ1冊を通して感じてみてください。人間関係を、より豊かなものに再構築する、ポジティブな決意がきっと生まれるはずです。

それでは、ごきげんよろしく!

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