ごきげんいかが?NAOです。
人と比べたところで、意味はないことは分かっている。
その人の努力や苦労も知らないくせに、人を羨ましがったり、妬むことの浅はかさにも気がついている。
けれども、たまに思わずにはいられない。
「私の人生って、どうなんだろう?」、「このまま老いていくだけなのかしら…」。
私は、自分の人生や生き方に対して、漠然とした不安や虚無感に襲われたとき、この言葉を思い出すようにしています。
「いま生きて歩いているこの苦しい道以外に、花道なんてあるはずがない。」
自分の人生の主役は自分。
だったら、持ち味や欠点すべてをひっくるめて「自分の人生をどう生きるか」、考えて動いて自分で自分の‟花道”をつくっていくほかない。
この言葉は、そういった自分に対する励ましのように響きます。
これは、岡部伊都子の著書『清(ちゅ)らに生きる』で知った言葉。岡部伊都子の全作品から再録したことばが掲載されています。
◆ Contents ◆
『清(ちゅ)らに生きる』/岡部伊都子
いま生きて歩いているこの苦しい道以外に、花道なんてあるはずがない。
よりよき方向へ、至ろうと努力する道は、みんな花道だといえるであろう。
脚光を浴びるにせよ、浴びないにせよ、そんなことは、花道をゆく心に何のかかわりもありはしない。
(…)いま生きて歩いているこの苦しい道以外に、花道なんてあるはずがない。
私たちは人生という舞台での、ひとりの役者であるという古きことばからのがれることはできない。
だから、苦しい道をもって、わが花道とする覚悟がいる。
凛としていながらも、優しく響く伊都子さんの言葉です。
あともう一つ、私がたびたび思い出す大好きな言葉をいかにご紹介します。
自分を優しく気持ちのいい存在に鍛えてゆくうれしさ。
お金もほしい。物もほしい。異性の関心もほしい。親の庇護や、先生の真心もほしい。
けれど、そういうものより、何より、もっともっとうれしいのが、この「自分発掘の幸福感」、
いいかえてみると、「自分の悪意とたたかって、自分を優しく気持ちのいい存在にきたえてゆくうれしさ」だと思います。
たまに弱気になることもある。けれども、伊都子さんのこれらの言葉を思い出すと、少し目線が上に向く感じ。シャキッと背筋が伸びる感じ。せめて、自分自身が納得できる生き方を、しんどくても模索しよう、全うしようと、ちょっぴり覚悟が決まるのです。
◇『清(ちゅ)らに生きる』岡部伊都子 (著)
それでは、ごきげんよろしく!